giappllo’s blog

主張なき雑文を浅き考えのままに

指導される

更新が2ヶ月以上あいてしまった。書くことがなかったわけではないということにしておく。とりあえず自分の続けられないダメさにほんの少しの嫌気を覚えつつ、次こそはなどと決意を新たにしてみたい。

 

さて、今回は久々の更新に関して「継続は力なり」、ということを結局は実現できていない、なんてことで書いても問題なかろうが、書きたくはないので書かない。

 

前回、1月某日に記事を投稿してから様々な変化があちらこちらで起こっている。私は普通自動二輪免許を取得すべく、前厄になる年齢にもなって再び自動車学校に通い始めた。きっかけは友人の後ろに乗ったことで、これは自らが操作せずにはいられないと感じ、大学の中にある、大学4年目だがいまだに好きになれないあの組織のカウンターに10万円を叩きつけ、入校した。

 

二輪の乗り物など自転車にしか乗ったことがなかった私にとって、教官の技術は見事である。ただ、今回は教官の指導というものについて考えてみたいと思う。前置きが長すぎである。

 

教習について、私は久方ぶりに「習っている」と感じた。予備校や大学のゼミでもあまり感じてはこなかった感覚のような気がする。これの原因を数分の浅い考えで探ってみると、真似て体を動かしているからなのではないかと感じた。講義と違うことは他にもあるかもしれないが、はじめに浮かんだ違いがこの辺りである。何かを覚えようとする際には真似るというのは大事なのかもしれない、と全然確固たる意思もないままに思う。

 

今のバイトでも何か生かせないか、まあ始業の鐘がなる頃にはこの考えも頭から吹き飛んでいるに違いない。